戯画化

見ろよ.僕の魂が飛んでゆく.魂が僕を見ているんじゃなくて,地上に残された僕が飛んでゆく僕の魂を見ている.

      • -

「人体模型の夜」(松下紺之助『黄昏幻燈館』)という短編マンガがある.
‘心をさがして動物を解剖していた女の子が,こんどは動物(その怨霊)から解剖されてしまう’といった話である.「あなた,楽しそうね.そうやって生き物を殺してなにか解った?」「やっぱり駄目,動物じゃ,言葉が見つからないもの」といった問答,「真っ黒な闇の中に溶けてしまう.心なんて何処にあるというの――」という最後の独白などが印象にのこっている.
バカバカしい.心は物ではない;どれだけ肉体,内臓,脳神経を解剖したとしても,そこに‘心’という物(あるいは‘言葉’という物)がみつかるわけがない――そのように考えもするのだが,一方でその女の子の行為にはもっともらしさや親近感を感じる【脳解剖とは,その女の子の行為と大同小異のことであるように感じる】

      • -

マンガやアニメでは【表現手段の性質からか】心や魂が腎臓や肝臓のような‘物’として描かれることがよくあるようだ.イメージとしての心や魂【あるいは生命】.たとえば輝く球体,鳥や蝶,あるいは幽霊のように‘持ち主’の姿を具えた心や魂【心や魂が‘物象化’されている――といえばそれらしい表現だろうか】.肉や物のように切り離し分け与え傷つけ壊すことのできる心や魂.肝臓や腎臓のような心や魂.肉体の他の部分から切り離しそれのみで存続しうる心や魂【透明なカプセル入りの騒がしく喋り散らすピンク色の脳】.

      • -

魂は鳥や蝶に化身する.心や魂は‘わたし’から切り離され,独立したカタチを具えるものとしてイメージされる.心や魂が何かに化身するということは,心や魂が‘わたし’から独立しうる‘物’であること――ひいては‘心’というイメージがもともと借り物であることを示している.そのように感じる【関連:ドッペルゲンガー

              • -

追記:検索したところ『黄昏幻燈館』の作者さんのサイトらしきものがありました.

黄昏幻燈館〈http://www.mmm.ne.jp/~butoh/k_gentohkan/index.html