実世界とゲーム

メディアのこちら側と向こう側の繋がりについてはロボットだけでなくコンピュータゲームと子供たちとの関わりを通じても語られます.どうしようもなく打つ手がなくなった時,少女は,ゲームが実世界の出来事に影響するならば実世界もゲームの出来事に影響できるはずだと主張します.実世界の行動がゲームへ影響するというのは一見当たり前ですが,それが「ゲームが実世界の出来事に影響する」という理路を経て改めて主張されるとき,想像が豊かに発揮されます.
(R.S.T. ‘モノがたり四方山話’(2005/7/24)より)

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ネコでは外側視床下部扁桃体を刺激すると唸ったり,毛を逆立てるなどの‘怒り’の行動があらわれる.心拍数や血圧の上昇,瞳孔散大などの自律神経応答も伴う.この‘怒り’は刺激前の状態とはまったく無関係である.この‘怒り’は明確な対象をもたず,それゆえ意味のない対象に向けられるという特徴がある.この怒りは仮性の怒り(シャムレージ sham rage)とよばれる.視床下部よりも上位の中枢からの信号をブロックしても仮性の怒りはおこるので,視床下部がこうした情動反応表出の中枢であることがわかる.

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‘脳神経系(物質)の変化が感情や思考(精神)へ影響するというのは一見当たり前ですが,それが「精神が物質の出来事に影響する」という理路を経て改めて主張されるとき,想像が豊かに発揮されます’
――この言い換えにおいて,さらに‘精神’の語を‘人間による意味づけがなされたこと’と換えれば,なにが私にとっての躓きの石であるのかが分かりやすくなるだろうか.
たとえば罵倒されて怒りを感じるとする.しかし罵倒も,怒りも,物理的な刺激とそれによってひき起こされた物理的な反応に還元できるだろう;罵倒されてから怒りがあらわれるまでのすべてのプロセスを物質の反応として描くことができるだろう.‘罵倒’は音刺激であり‘怒り’は生物の,もとい物質の状態変化である.
躓きの石:‘人間による意味づけがなされたこと’と意味を剥ぎ取ったもの(こと)との関係.

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小説と実世界との関係を考えよう.小説を読んで感動する.小説を読んで‘そのなかに広がる世界’を感じる.そのような小説から人間による意味づけを,虚構(フィクション)を剥ぎ取れば,あとにのこるのは紙とインクだ.

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【そうして,この紙とインクという本体がヒトに与える物理的作用といえば,それは紙にインクで綴られた‘文字’を解する個体にたいしても,それを解さぬ個体にたいしても,さして違いはないだろう.しかし一方においてはその紙とインクは何ものかへの媒介(メディア)となり,一方ではそうはならない】【という考えは,ちょいと迂闊な考えだろう.難点の一つは,‘脳神経系’という物質の個体間ないし個体内での違いを無視していることである.ある音(物理刺激)をある個体は‘言葉’と感じ,ある個体は‘雑音’と感じる.その違いは飽くまで物理的なプロセスの違いによって規定される(さもなくば,‘物ではない何か’によってその違いが規定されたものとせざるをえなくなる).そして,脳神経系という物質の発達 = 展開(Entwicklung)した姿は,脳神経系がおかれた環境(与えられた刺激)に応じた違いを具えるにちがいない――日本語を解する脳と英語を解する脳,東京弁を解する脳と大阪弁を解する脳,これらの脳はそもそも物質として違うのだ.物理的に同一の刺激も,刺激が与えられる物の性質が異なれば,異なった(物理的)反応をひき起こすのはあたりまえのことだ】【  】【そしてもう一つの難点は,こと人間にたいしては何であろうと何ものかへの媒介(メディア)となる可能性があるということだ.ただし,これは話題としてはかなりズレる】