いまはもうない

ところで「それはもうありません」という肉屋の言葉はどこから出てきたのか.実にこの私自身からなのだ.2,3日前,私は彼女に「いちばん古い幼児体験はそのものとしてはもうありません.それは分析してみると「転移」と夢によってとって代わられているのです」といったのである.だから肉屋は私なのである.(フロイト「夢判断」高橋義孝訳,V.夢の材料と夢の源泉,B.夢の身体的源泉 I)

    • -

先日,手元にもどってきた「プルトニウムと半月 (角川ホラー文庫)」を数年ぶりに読んだ.‘現実味の無い,書き割りめいた舞台設定’や‘ヴィジュアルノベルじみたキャラクタとその配置【それともサウンドノベルというべきなのか,違いがよく分からない】’など,‘人間が書けていない’とでもいうべき要素が鼻につく.この小説を半ば熱狂的に周囲に勧めていたことが恥ずかしくなる.しかしそれでもラストの2ページを読むと強く感じるものがある.
小説のおもな舞台は原子炉の事故で汚染された地域でありその場所はハーフムーンと呼ばれる.小説の終章はハーフムーンを訪問ししばらくそこで過ごした人物による回想であり,ハーフムーンの住人の‘後日談’が語られる.その回想も終わりに近づいたところで語り手は言う.

あの家も今はない。
かつてのハーフムーンは、どうせ汚染されているならということで、産業廃棄物の集積場になっていた。しかし、20年ほど前にそれらはどこかへ片づけられ、また、新しく確立された遺伝子組み替え植物による植栽浄化法によって土壌の汚染は除去された。数年で安全なレベルまで浄化されると、建物も鉄条綱もすべて撤去され、また新たに街が造られた。現在、誰もハーフムーンなどとは呼ばない。あの場所も、今や日本の他の地域となんら変わらない、平凡な場所になっている。
容赦なく殺教し、容赦なく忘却していく、そんな世界に私はいる。そのことを私は痛感した。


この一節をはじめて読んだころ,精神分析などの勉強に関連してトラウマや忘却について考えていた.汚染された地域が浄化され,やがては汚染などなかったかのように平凡な姿をとりもどす.そのプロセスを忘却と表記するこの一節は,傷が治癒すること――トラウマが癒えることについて漠然と考えていたことを結晶化させる核として作用した.癒しをもとめること,症状(苦しみ)の原因としてのトラウマ(心的外傷)を設定し,そこになんらかの術を施すことでトラウマの治癒を,それによる苦しみからの解放を願うこと,それはなにがしかの殺戮-忘却を伴っている.癒しによって生々しい傷は傷痕 = 痕跡となりやがてその痕跡さえもキレイに浄化(カタルシス)あるいは無化される.無かったことにされる(忘却)――というよりその必要さえない.もはやない.祓われてしまった悪霊はみてみぬふりさえ必要無い.
こうした考えに,当時は強い思い入れを抱いていた.
今にしておもえばトラウマの設定および治癒を‘忘却’ないし‘殺戮’としてのみとらえることは視野狭窄がすぎるかもしれない.

    • -

語り手はその後の自らの人生を回想する.それはおよそ1ページにもみたない.「私は一人で普通に暮らしてきた」「無限の後悔の中を生きてきた。毎日は変わりなく過ぎていき、気がつくと、老人という歳になっていた」.いまや老人となった語り手にとって,すくなくとも小説の記述をみるかぎりでは,その後の人生はつけたしにすぎない.「今や、ほとんどの記憶は薄れてしまった。だが、あのハーフムーンでの二ヶ月足らずのことだけは、鮮明に記憶に残っている」.ハーフムーンの傷跡を無に帰し忘却し尽くした人びとと異なり,語り手はハーフムーンという傷跡(Trauma)に拘りつづける.あるいはその夢(Traum)を生き続ける.

「夢はまた,最近時的なものへの転移によって変化させられたところの,幼時期場面の代用物と見ることもできるだろう.幼時期場面はそのままでは現在に復活させられない.それは夢として復活することに甘んじなければならない」(夢判断.VII.夢事象の心理学 B.退行).

小説のなかで描き出されるハーフムーンの日々は暴力で彩られている.生きるためには殺し食べなければならないという‘生々しさ’をつきつける.しかしそのような‘生々し’い要素のクローズアップはかえってフィクション然とした印象をかもしだしているようだ.それは子供の目からみられた‘大人の世界’をそのまま‘現実’として設置したことのあらわれであるようにも感じる.
この小説は現実を描くべきところを(書き手の若さ,人生経験のなさゆえに)フィクションからの借り物を描くことに終始している――そのような批判がいとも簡単に成立する.華織と紗織という双子の姉妹にはじまるギャルゲーないしアニメのキャラクタそのものの名前の設定がそれに拍車をかける.こうした批判がどれだけ的を得たものであるか,それはソマミチにとっては関心の対象ではない――おそらく的を得たものなのだろう.しかしそもそも語られていることはトラウマなのだから,そこで重要なのはトラウマ Trauma = 夢 Traum のリアリティではないかと考える.語り手は‘無限の後悔’を生きつづける.ハーフムーンというトラウマを生き続けることでいつのまにか老人となる.トラウマを癒し忘却し埋葬すること,あるいは色あせ古びてゆく思い出の領域に傷跡を追いやるための弔いをすること.語り手はそれを成さない.あるいは成しえない.なにがしかの感じやすさ Empfaenglichkeit ゆえに.

                            • -

通夜の席でひさしぶりに会った従姉妹と妹から‘全然かわらんね’といわれた.自分ではけっこう変わったつもりだったのだけれども.
実家は夏ごろに引越しをするかもしれないということだった.