神さまの話

脳科学クラブ参加。活動中の雑談でレオナルド・ダ・ヴィンチが言及される.人体の構造を探究し多くの解剖学的デッサンを残した彼も,脳については‘3つの脳室’こそが精神の座であると考えていたという.‘彼ほどにスゴい人でも宗教の呪縛から逃れることはできなかったのか,と暗澹たる気分になるのですよ’と宗教ぎらいの1年生が慨嘆する.おもわず‘いまでもわからへんよ’と口ばしる.私たちは宗教の呪縛から逃れることができているのだろうか/なぜ宗教を呪縛だと感じてしまうのだろうか(それこそが呪縛ではないだろうか).
【おそらくそこにあるのは,神や魂の在り処に関する‘宗教(信仰)’への態度と個別具体的な宗教共同体にたいする態度,その2つの態度の混同だ.とはいえこの混同は不可避なものかもしれない.なぜなら信仰も,共同体への帰属も,ともに論理や理論や理屈ではなく日々の活動の実践にかかわることであるから】.

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新設の解剖学実習室には脳外科からのお下がりとおぼしき micro surgery 用の機器が鎮座していた.顕微鏡越しにすると感覚は変容する.脳表の血管がなんと頼もしいこと.外側面から中心溝をみようと悪戦苦闘しつつ脳外科の話【結局,外側面からは中心溝ははっきりとわからないよ,と顧問の先生にいわれたので作業は中断】.というよりも神経再生の話.いずれは神経の欠けた場所にふりかけておけば,そこにむかって軸索が伸びていって,やがて回路を形成するような薬ができないだろうか.そんな薬があれば神経をとりあつかうことはずいぶんと楽だ.いまは脳血管がもっぱら相手の脳外科もいずれは神経再建手術などを手がけるようになり,あらゆる神経科・精神科領域の疾患――脳神経系の病変にもとづく機能障害――を治療することができるようになるのではないか.

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すばらしい話だ。そうすれば物を相手にしているシンプルさと力強さを具えることができるようにおもう.折々おもいなやんでいる宗教じみた妄念から逃れることができるかもしれない.おせじにも‘人格’が優れているとはいえない――というよりも欠陥や劣等感を数多く抱えた――自分でも,知識と技に磨きをかけることで堂々と精神――というよりも脳を治療することができるかもしれない【そしてそのあとのことは精神の専門家,たとえばカウンセラーの方にでもまかせておけばよい】.

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(これもまた、2つの態度の混同のようで)