翻訳

フロイト精神分析概説を読んでいる.心理学と生理学を混同してはいけない,などという一節が登場する.aber man darf Physiologie nihit mit Psychologie verwechseln.

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まずはじめに口 der Mund が,性感帯 die erogene Zone としてリビドー的要求 der Anspruch を精神にさしむける.精神の活動はさしあたり,その欲求 das Bedürfnis の充足 die Befriedigung をもたらすよう設定される.これは当然,第1に栄養による自己保存にやくだつ.しかし生理学を心理学ととりちがえてはならない.早期において子どもが頑固にこだわるおしゃぶり Lutschen には欲求充足が示されている.これは――栄養摂取に由来し,それに刺激されたものではあるが――栄養とは無関係に快の獲得 Lustgewinn をめざしたものである.ゆえにそれは‘性的 sexuell’と名づけることができるし,またそうすべきものである.

Freud,S.1940 "Abriss der Psychoanalyse" G.W.XVII p.76.
=「精神分析学概説」著作集IX.163.

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心理学を専門的に学んだことはないので心理学がどのようなものであるかは知らない.知らないのだが漠然としたイメージはある.心理学を追い求めてゆくとどこかで生理学に近づいてゆくようなイメージがある.知覚について調べることが,呈示された刺激と眼球運動との相関についての研究になり,神経系の情報伝達系についての研究になってゆくというイメージ.

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チャーチランドの『認知哲学―脳科学から心の哲学へ』を読んでいるとライプニッツの思考実験が紹介されていた(p.251).以下のような思考実験である(ライプニッツモナドジー中央公論社,世界の名著30.てきとうに要約):

17 表象 perception,また表象に依存して動くもの,これらはメカニックな理由によっては説明がつかない.物を感じたり,知覚したりできる仕掛けの機械があるとする.その機械を拡大し,そのなかに入ってみたとする.このとき機械の内部において目にうつるものといえば,部分部分がたがいに動かしあっている姿だけで,表象について説明するにたるものはけして発見できない.ゆえに表象のありかは複合体や機械ではなく単一実体(モナド)なのである.

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チャーチランドによれば,ライプニッツのこの論法は,昨今の哲学者たちが‘意識や心の働きは物質と物理法則には還元できない’と主張するときの1つの原型になっている.そしてそれは‘無知’によるものである:たとえば細胞は生物体の基本単位である.細胞を拡大し,そのなかに入ってみたところで‘生命そのもの’をみることはできないだろう.しかしそれは生命現象が物に還元できないなにか(生気)によって規定されていることを意味しない.そしてDNAについての知識があれば,‘細胞のなかに入ってみて’生命現象を規定する物質的基盤を探すことができるだろう.ライプニッツの論法についても同じことがいえる;なにが心や意識の物的基盤であるかを知らない状態では,意識する機械の内部をみたところでその物的基盤をみつけることができるはずもない.しかし,だからといって,意識や心は物に還元しつくすことはできないと結論することはできない.

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