気がつけばずいぶんと暖かくなっている.

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「解釈するものが無理やりこじつけなければ理解できないと感じられる箇所は,実のところ異なった経験の回路を用いて記述されているのである」という.

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純粋理性批判 上 (岩波文庫 青 625-3)」の「第一部:先験的分析論」は「第二篇:原則の分析論」の「第二章 純粋悟性のすべての原則の体系」における「第三節 純粋悟性のすべての総合的原則の体系的表示」,その「経験的思惟一般の公準」のなかの「観念論に対する論駁」【‘寿限無寿限無’のようだ】のなかに以下のような一節がある.

「たとえ(空間,時間とは異なる)別の直観形式や,また(思惟,すなわち概念による認識の論証的形式とは異なる)別の悟性形式が可能であるにせよ,我々はそのようなものをどうしても考えだし得ないし,また理解することもできないのである」(p.309.)

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「これらについて人や銀河や修羅や海膽は/宇宙塵をたべ、または空気や塩水を呼吸しながら/それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが/それらも畢竟こゝろのひとつの風物です」という一節をふと連想し,その箇所だけはなんとなくわかったような気がした.

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