ユングとピンカー

ピンカーは述べる.本書の中核となる概念は「心とは複数の演算器官からなる系であり,この系は,われわれの祖先が狩猟生活のなかで直面したさまざまな問題,とくに,物,動物,植物,他の人間を理解し優位に立つために要求されたはずの課題を解決するなかで,自然淘汰によって設計されてきた」(p.34.)というものである.人類に普遍的に備わる心性は生得的なものである:「人間の体内に膵臓があるのは学習したおかげではない.同様に,視覚系や言語獲得,常識,「愛,友情,公平さ」などの感情もまた,学習して身につけるものではない」.

このような考えからは,ユングの「元型」の概念を連想する。
たとえばユングは以下のように述べる;

人間の精神には,生物学でいう「行動様式」にあたる,普遍的定型的な行動方式がある.このアプリオリに存在する生得的な形式(元型)が,異なる個人の内部にほぼ同一の観念または観念の連関を作りだすことがあるのだが,この場合はその起源が個人の経験にあるとはいえない.患者とその身辺の人びとはなにも思いあたることがない異様さに驚くけれども,一定の神話素とモティーフが似ているので専門家にとっては未知のものではない,というような観念とイメージが精神病者には非常に多い.プシュケーの基本構造は世界中どこへいってもほぼひとしいのであるから,たとえば一見個人的な夢のモティーフでも,どこかで生まれた神話素と比較することは可能なのである.
「変容と象徴」ちくま学芸文庫 下巻 p.80.

一方,ピンカーは「文化は恣意的,かつ無限に変化しうると一般に思われているが,民族誌学文献によれば,世界の諸民族はかなり細部にわたるまで,普遍的心理を共有している」(p.51.)と記している【「心の仕組み」はピンカーが「多くの理論のなかから,紹介すべきだと思えるものを選んで」(p.3.)それらを編集し,一貫したヴィジョンを描き出した著作にすぎないので,先に記したことがピンカー自身の見解だとは必ずしもいえませんが】.

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かねてよりユングの分析心理学にはオカルティストの思想=眉唾ものという印象をいだいている.たとえば集合無意識(普遍的無意識)という概念がある.個人的な無意識のさらに‘深層’には集合無意識の層がある.そして人びとの意識および個人的無意識は深層において集合無意識を共有しているのだという.以前はそのような考えはまったくもって受け入れられなかった.しかし以下のような記述をみると,その考えも少し変わってくる.

われわれは幼児の追憶に沈みこんで,現在の世界から姿を消す.暗黒の闇のなかへ落ち込むようだが,そこで思いがけない別の世界の幻をみる.そこでみる「秘儀」とは原初的イメージの宝庫である.これはだれでもが人類の贈りものとしてもって生まれてくるもの,本能独特の生得の形式の全てである.この「可能態」のプシュケーをわたしは集合無意識とよんでいる.
「変容と象徴」ちくま学芸文庫 下巻.p.236.

「心の仕組み」の言葉を借りつつ表現すれば,集合無意識は‘人類に共通した生物としての特徴――遺伝子,また遺伝子に規定される脳の構造――にセッティングされている心的モジュールの束,ないしそれによって人類一般において潜在的に備わっている(可能態としての)プライマリなイメージ’と表現できるようにおもう.

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