千里眼

『20世紀精神病理学史』では,20世紀の精神病理学分裂病中心主義だと評される.そしてそのことが精神病理学の破綻の原因だとされる.
20世紀初頭に「精神分裂病(群)」概念を提唱したE.ブロイラー自身はその医学的疾患概念としての妥当性をうたがっていた.分裂病という病は〈狂気〉の‘根幹’ではなくむしろ‘枝葉’かもしれない.にもかかわらず,20世紀において精神病理学分裂病の探求を学の基盤に据えた.「私が医師になった1973年頃,分裂病精神病理学的研究の熱狂性はほとんど絶頂に達していた.この熱狂の冷却のスピードもじつに迅速で,多くの研究者が「精神病理学の危機」を叫んだのも束の間,分裂病精神病理学も,その危機感も,そして分裂病問題も,1980年ごろから忘れ去られていった」(p.71) 「分裂病という枝が折れて,宙に浮き,そして,20世紀精神病理学を道づれにして落下した.これはごく最近の史実である」(p.293) .

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この本で著者は、〈歴史不在〉の精神が20世紀の人々の精神の特徴であり,そのことが20世紀の精神病理学のあり方と,20世紀における分裂病という疾患概念(そして20世紀的〈狂気〉)の提唱から熱狂,解体,忘却にいたるプロセスをうみだしたのだ,と主張しているようである.

この〈歴史不在〉の精神の例として,もしくは〈歴史〉を拒否することの例として,著者は先ずランボーの手紙を引用する.

千里眼でなければならぬ,千里眼にならなければならぬ,と僕は言うのだ.詩人は,あらゆる感覚の,長い,限りない,合理的な乱用によって千里眼になる.恋愛や苦悩や狂気の一切の形式,つまり一切の毒物を,自分を探って自分の裡で汲み尽くし,ただそれらの精髄だけを保存するのだ.…….彼は,未知のものに達する.そして,狂って,遂には自分の見るものを理解する事が出来なくなろうとも,彼はまさしく見たものは見たのである.……」

この言葉をもとに著者は問いかけを発する.
「既知のものが見えなくなり,「未知のもの」が「見えて」きてしまったとき,人間はどうなるか,言葉と歴史をおのれの手で絞殺した人間はどうなるのか?」.

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