好み

あるとき、話し相手の発言に感じられた‘Aか,それともAでないか,そのどちらかしかありえない’という発想を指摘したところ,‘私はそのような区別に拘ってはいない.Aか非Aかしかない,という二分法に拘っているのはむしろアナタだ’と返されたことがある.
自分をとりまく物事のなかにある反感を感じる要素は,自分がそれと気づかぬままにもっていた要素の反映だった――そのようなことが私にはよくある.精神分析的な意味でいうところの投射ないし投影 Projektion である.

「(投射,投影とは)精神分析独特の意味では,主体が,自分の中にあることに気づかなかったり拒否したりする資質,欲望,そして「対象」すらを,自分から排出して他の人や物に位置づける作用をいう」『精神分析用語辞典』

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感情や記憶や人格などといった精神的なものごとの作動を脳や神経,あるいはタンパク質や遺伝子といったレベルに還元する考え方には反感を抱いている.そのような還元主義的思考では、精神のあり方そのものはわからないと考えている。だが,そこにはある歪みがかかっているようだ.

私は精神病,なかでも統合失調症分裂病)の精神病理――精神のあり方の把握,またそれによる‘疾患’の把握――に強い興味関心を抱いている.そして,そのためのテツガク的なアプローチを好む.しかしながら現代の医学では,統合失調症にたいする治療なり原因究明なりのアプローチは生物学にもとづくものが主流であり,私が愛好しているテツガク的なアプローチは軽視――というよりも無視される傾向にあるようだ.そのような危機感があるからこそ、上記のような還元主義的思考を嫌悪する。

しかし、同様の主張がテンカンやアルツハイマー,あるいはハンチントン舞踏病などにたいしてなされた場合には、さして嫌悪感を感じない.それらの病気においてもやはり精神症状が出現すること,ひいては精神のあり方も変化するということを見聞きしているにもかかわらず.