形而上学的怪我

――それはきわめて単純な構造の小説ではあったが,書きはじめるためには,いくつかの問題点があった――それを植物が邪魔をするのだった.……,植物の持つ死と再生のイメージが森の規模でふくらむ,それがここにいることの苦痛となってわたしの胸を苦しくさせた.わたしは煙草の袋を破って,裏側の白紙にボールペンでこう書いた.

《彼について書くために,わたしの視線というものが必要だろうか.語り手でもあり同時に記述者でもあるわたしという存在が,それを書くために必要かどうか.わたしは彼の背後に静かに隠れ,そのかわりに彼に名前を与え(アルファベットの頭文字か,あるいはごくあたりまえの現実的な名前か),登場人物としていきなり登場させるべきか》


金井美恵子「窓」ピクニック、その他の短篇 (講談社文芸文庫)講談社文芸文庫

堀江敏幸「《形而上学的な怪我》からの治癒」『ピクニック,その他の短編』解説>

※単純化のため,金井美恵子の文章のなかからの引用と想定される《 》でくくられる記述は,単語レベルのもの(たとえば《わたし》や《かれ》,《独自性》)はおおむね〈 〉で括りなおすことにし,文章レベルのものを《 》で括ることにする.【 】でくくった語句は論旨をまとめるなかで思い浮かんだ言い換えないし連想である.

1 1980年代初頭までの金井美恵子(『単語集』(1979)「プラトン的恋愛」(1975)「くずれる水」(1980)の諸編)にゆるやかな統一感を与えているのは,書いている〈現在〉を襲う〈作者(語り手,わたし)〉の複数性にかんする《触わると形而上学的な怪我をしそう》な抽象的で冷ややかな思考,その言及である.

1.1 たとえば「窓」の〈わたし〉は〈彼〉の話の聞き役であり記述者である.〈彼〉の語りを〈わたし〉は小説で伝えようとするが,しかし与えられた素材をどのようにとり扱えばよいのかと迷う.《彼について書くために,わたしの視線というものが必要だろうか.語り手でもあり同時に記述者でもあるわたしという存在が,それを書くために必要かどうか.わたしは彼の背後に静かに隠れ,そのかわりに彼に名前を与え(アルファベットの頭文字か,あるいはごくあたりまえの現実的な名前か),登場人物としていきなり登場させるべきか》.

1.2 「窓」の構図は「競争者」のなかで徹底化される:語り手はここでも自分の分身である〈彼〉にであう.〈彼〉が各地で売りさばく《世界の目録》たる百科事典は,すべての単語が,すべての物語がすでに書かれてしまっていることを暗示する装置であり,同時に,〈作者〉がつねに複数であることを訴える象徴的な仕掛けでもある.

1.3 「競争者」では〈語り手〉は「文学作品」に要求される〈独自性〉を根本的に信じられなくなる体験をし,みずからを〈わたし〉と記すことができなくなる:〈わたし〉が通っていた女の部屋で,べつの男がこれみよがしに残していたノートを開いてみると,そこには〈わたし〉が書いた文章がそのまま書かれていた.《わたしの書いたものは常にすでに(あるいは同時に)別の者によって書かれている,という事実》《わたしは書く,とわたしが書くと,あの未知のノートの書き手も,わたしは書く,とノートに記す》《わたしは彼ときりのない競争をしているようだった.わたしは,わたしという言葉を使うのをやめた》《ようするに,わたしにとってわたしは常に彼のことであるのだから.いや,わたしたちといい直すべきだろう》.

1.4 〈わたし〉と〈彼〉の果てしない競争による《信じがたい苦痛》こそがいわば《形而上学的な怪我》であり,その症状はさまざまなバリエーションを呈するものの,金井美恵子は執拗にこの《怪我》を刺激しつづけてきたといえるだろう.


2 金井美恵子の小説において,《怪我》にまつわる刺激的な企みは,抽象的理論に回収されることなく,書くこと・読むことの快楽のうちに,書いている〈現在〉のうちに溶かしこまれている.

2.1 ある時期までのフランス文芸批評と並走する一貫した省察に加えて,「家族ゲーム」的ユーモアや,カメラ・アイそのもの魅力的な映像の断片など,空虚な言いまわし【捨象的な理論】には飲みこまれない自立した散文の要素がちりばめられる.これらは1980年代後半以降の金井美恵子の長編小説にすべて生かされることになる.

2.1.2 「月」において書かれた語り手の眼に映る光景――「宵闇の,掘の水でなまあたたかく湿った匂いの風が吹き抜ける」「ありふれた商店街の一本道」――は「物語の筋書きや語り手の年齢・性別などとは無関係に一つの映像として読者の網膜に焼き付けられたのち」,その20年後に書かれる「噂の娘」の冒頭部分に反響する:《どの店の入口でもカーテンが風に吹かれて揺れ,時々風が強く吹くと,風を孕んだカーテンの布が重いガラス戸の間から,道のほうへ大きく翻って軽い心地のよいはためきの音をたて……》「月」(1978),《通りの南から北に時々吹き抜ける風が,店の家並に張り出したたいていは,緑と灰色か,カーキ色の無時の防水布の日除け屋根の端に垂れたスカラップをハタハタと揺すり,……》「噂の娘」(1997)

2.2 ある作品にみられる文章【テクスト】が別の作品において反響し変奏される.これはロブ = グリエの小説の特徴である〈漸進的横滑り〉(微妙な偏差をほどこしつつ,ほぼ同一の描写を反復すること)【バロック的変奏】に似た現象であるが,金井美恵子のテクストにおいてはそれは長いときを隔てた異なる作品のあいだにおいても生起しており,はじまりと終りがとけあう永久運動を実現する.それは時空の迷路をうみだす構造をもつ.

2.3 〈漸進的横滑り〉的な反復・変奏,たとえば「月」「噂の娘」などで反復される商店街の描写には,身体的な記憶についても書き込まれている:たとえば《通りを一つへたてた城の藻の繁殖した堀》のむこうにある「微熱に覆われた運河や湿った土蔵」(『既視の街』など),《親戚の家》だと母親がごまかしている父の妾宅,かつて肌をあわせたことのある女の家,…….これらの迷宮【テクストの織物】のうちに《形而上学的な怪我》からの治癒のための薬がある.

2.3.1 「鎮静剤」(1982)において反復的に挿入される一節:《小さい時,あの倉は好きだった,高いところにある小さな窓からオレンジ色の光線が斜めに射し込んで,……,透きとおった埃がゆっくりゆっくり舞いあがったり舞いおりたり,旋回運動,踊りをおどっているみたい,……,雪どけの季節は静かだ,……,からだが少しむずがゆくなる,寒さで固くこわばっていたからだ中の細胞がゆっくりゆっくりふくらみはじめる,木の新芽みたいに,みずみずしい水分と血がからだの奥で循環しはじめて,毎年毎年,春になると背が伸びたわ……》「鎮静剤」(1982).この一節は,ひどく官能的な浮遊感――軽いめまい――をもたらす点において,『軽いめまい』(1997)における,スーパーの棚の商品を列挙する圧倒的な数ページに似ている.

2.3.2 【反復・変奏されるテクストの織物,そこに刻印された微熱や肌,唇などにまつわる身体的な印象,織物の綾(綾目)をたどることが惹起する「軽いめまい」――〈自立した散文〉のもつエフェクトあるいは身体性が,〈作者〉や〈わたし〉の《複数性》への問いすなわち《形而上学的な怪我》の〈傷口〉に〈治癒〉をもたらす――傷口をふさぐ――〈薬〉となる】


3 「鎮静剤」における官能的描写(その反復)としてよび起こされた「軽いめまい」は,さまざまな文学的横道や〈複数〉の幼年期を巻き込み吸収し,1980年代末の金井美恵子を招来する.