起源 = 目的

形而上学はより純粋,より端的な現前の実現をめざす.そこでは実現される現前の十全性の程度に応じた階層秩序がある.その頂点にたつのが「神」的なものである.それはいわゆる「神」にかぎらない.
あらゆる存在は現前性という基準でランクづけられ,その頂点にはもっとも完全な現前をもつ存在者(神)が位置し,その存在者の純粋現前を思考と行為の目的(テロス)とする.形而上学にみいだされるこうした性質を,デリダ存在論的・神学的・目的論的と評した.
また神的存在者はあらゆる存在がそれへと向かう(それとの関係に応じて評価される)テロス(目的)である同時に, 存在するものの根拠ないし根源(アルケー)でもある.ゆえに,存在‐神‐目的論としての形而上学は,存在‐神‐目的‐始原論でもあった.
そして,形而上学においてテロスに位置する存在者を,デリダは超越論的シニフィエと称する.
この「超越論的シニフィエ」という表現が示唆するのは,形而上学がテロスとする純粋現前【まじりけのない,他のものに依存しない,純粋なあらわれ】は,いっさいの表現媒体を超えた,不純で不透明な「外的」「物質的」存在者の世界を超越したものとして想定されているということである.

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一切の表現媒体を超えることは,声という媒体をも超えた,ということである.
ゆえにそうしたテロスすなわち絶対者は「語りえない」ものである.
このような言語を絶した絶対者の絶対的現前を想定する思想は,たとえばプラトンや,その流れをくむネオプラトニズム否定神学的思考にみられる.
参考文献:高橋哲哉デリダ (「現代思想の冒険者たち」Select)講談社,1998