桃および身体

若冲と江戸絵画展」にゆく.授業のスライドでみてより気になっていた若冲の作品を数点みることができてよかった.鶴はお尻の丸さもさることながら鋭くはりつめた感のある嘴や脚との対照がおもしろかった.他のかたの作品も印象ぶかいものが多々あり,なかでも岩井江雲の「三千歳図」という作品は桃の実の肉感と紅さが生々しさをつきぬけて禍々しく,目を奪われた.時間の都合で後半をゆっくりみれなかったことが心残り.

  • -

行き帰りの車中で『精神としての身体 (講談社学術文庫)』の文庫版を読む.およそ30年まえに出版された本であるけれども色々と興味深いことが書かれていた.

続きを読む

ココロとモノ

たいせつなのは問いの立てかたで,適切な問いの設定がなされているならばその答えはすでに得られているようにおもう.

      • -

このブログは「精神的なものは幻想にすぎず「本当に在るのは」原子の配列と物理法則に過ぎないという思考」についての考察にはじまる(id:somamiti:20041017).あまりの大げさな身振りが失笑をさそう.ともあれその唯物論的な思考はまずはid:Gen-eさんによって示されたものである.このブログはそもそものはじめより,Gen-eさんの唯物論的な思考を打破して己の論の正当性を天下にあまねく知らしめるためのメモだった*1
以下,回答(というにはいささかズレた応答)

*1:面と向かって議論するたびに言い負かされてばかりで口惜しかったのである

続きを読む

心的現象と存在論

(サール『マインド 心の哲学』についてのメモ.id:somamiti:20061030)
心的現象,とりわけ意識には消去的還元はできない.このことを主張するにあたってサールは以下のように述べる:「もし私にとって意識の上で自分が意識しているように思えるのなら、私は実際に意識している。私は自分の意識状態の内容についてあらゆる種類の誤りを犯しうる。しかし、そうした意識がまさに実在することについて、そのように誤ることはない」.それゆえ「意識は実際に存在する」.
この論は,デカルトのいわゆる「われ思う,われあり ego cogito, ego sum」をもとにしているだろう.またそこから『イデーン』のコギトに関する以下の一節が連想される:

続きを読む

消去的還元

サールは以下のように述べる.心身問題における唯物論と二元論との対立のもとには還元をめぐる第2の混乱がある.それは消去的還元にかんするものだ.
(サール『マインド 心の哲学』についてのメモ.id:somamiti:20061030)

続きを読む

マインド

マインド―心の哲学
心の哲学”入門書.前半は心身問題にかんする議論が手短に紹介されていてうれしかった.後半は心身問題にかかわるさまざまな問題が紹介されているけれども(自由意志,知覚,無意識,自己など)入門書であるためか少々,かたすかしをくった感がある.ともあれ値段のわりに充実した本だった.学習参考書的にキャッチーで明解なのがうれしい.訳者は『心脳問題』の著者のお二人.
以下,ながながとまとめ等.基本は訳者解説より.

      • -

心と身体との関係にかんする問い――心身問題.心身問題にかんする有力な考えには二元論と唯物論とがある.
二元論:世界には物理的なものと心的なものが存在し,両者は互いに相容れない.
唯物論:世界には物理的なものしか存在しない.
心身問題の最大の争点は「心的なものは物理的なものに還元できるか否か」という問いであり,ここで「還元できない」と答えれば二元論者,「還元できる」とするなら唯物論者となる.

心身問題は,次のような前提にたっている:人間は心と身体の両方を備えている.身体や脳は物理的なものであり,意識や感覚は心的 = 非物理的なものである.物理的なものと心的なものは互いに異なる性質をもつ.とすれば,これらはどのように関係しているのか.

サールによれば二元論,唯物論はいずれも誤りである.そもそも心身問題における「物理的なもの / 心的なもの」という区別がそもそも誤っている.誤った前提のもとに議論をすすめているからこそ二元論,唯物論といった誤りが導かれる.

続きを読む

好きとか嫌いとか

哲学のことが好きか嫌いか,そんなアホらしい問いにかまけてばかりの昨今.

  • -

それはもう,好きなときもあれば嫌いなときもある.好き嫌いを云々することが成立してしまうくらいには関心をもってしまっている.腐れ縁というやつだろう.
裏庭 (新潮文庫)』でこの言葉はさっちゃんとおかあさんとのやりとりにおいてつかわれる.さっちゃんはおかあさんが好きなときもあれば嫌いなときもあるだろう.おかあさんだってそうだ.そういえば「裏庭」から忽然と帰還した照美をまえに,ママであるさっちゃんは幽霊をまえにしたかのような振る舞いをする.そんなさっちゃんに照美は,抱いてくれるならそれに越したことはないけれどもママならこんなもんだろう,とおもう.親子関係とりわけ母子関係の泥土のような愛憎好悪へのあきらめが,肌にあっていて心地よい.あきらめ,あるいは幻滅.幻を消すこと.

続きを読む