深泥池にて

――終わりの色は青,ダムの底に沈んだ街.
(松下紺之助「鳥追いの街」)

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深泥池を見にゆく.
深泥池の成立は14万年ほど前にまで遡り,暖温帯である京都にあるにもかかわらず各所に氷河時代の生き残りと考えられる北方系の植物や動物が生存している.これら北方系の生物は,暖温帯に分布する生物たちとかかわりを持ちながら一定のバランスを保って共存しているという.
参考:深泥池水生生物研究会〈http://www.jca.apc.org/%7Enon/index.html

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水について抱くイメージの一つに「ダムの底に沈んだ街」がある.終わりを告げる声を合図に水に沈む街.

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‘数百年後にはこの風景も消えてしまうのだろう’という.口惜しくて色々な蘊蓄を撒き散らしつつ‘この風景はそう簡単に消えはしない.おそらく1000年後もここにこうしてあるはずだ’とこたえた.すると‘そもそも今までこの風景が残ってきたのは人が手を加えてきたからだ.さもなくばすぐに変わってゆく,移ろってゆくことだろう’と告げられた.ああそうだなとおもった.

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祇園精舎の鐘の声は百代の過客にしてしかももとの水にあらず.淀みに浮ぶうたかたはかつ消えかつ結びてひとえに風の前の塵に同じ.友人の言からはおよそこうした言葉を連想する.
一方,次のような情景をを深泥池に重ね描きもする:氷期ののちも変わることなく残りつづけるものたち――流れから取り残された者たち.静止,固定,水底に降り積もりゆく植物の遺骸.

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頭がいいとはどういうことだろう.社会の生存競争に生き残ることだろうか――ヒトの生物としての特徴は‘頭がいい’ことにあるのだから.生存競争に勝つ人物はヒトとして優れている.すなわち頭がいい【連想:優生学と骨相学,頭蓋周囲径の測定と比較.『優生学と人間社会 (講談社現代新書)』】.
この発想の根幹にはダーウィニズムがあるという.しかしダーウィニズムでは生物の進化は解き明かしきれない(現在ある種の多様性の説明としては不完全)という.

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種を規定する性質の束aを等しくする生物群集xとy.場所をのぞいたあらゆる性質の束Aを等しくそなえる環境XとY.Xに生きるxは絶滅を免れ繁殖した.Yに生きるyは絶滅した.そうした事例が生物史には多々あるという.このときxとyとの命運を分けたのは性質aではない.aをもつ生物がAにおいて生存競争に勝つわけでは必ずしもない.不思議だ.

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