representation

「表象」についての百科事典の解説(木田元「表象」『世界大百科事典』参照)

表象は,哲学や心理学の領域で,おもにドイツ語の Vorstellung,英語の representation,フランス語の représentation の訳語として用いられる言葉であるが,その意味の範囲はさまざまである.
Vorstellung は,18世紀にウォルフによって英語の idea (ロックの用語) の訳語として,次いでカントによってラテン語の repraesentatio の訳語として使われはじめた言葉であった.それゆえ表象には,もっとも広い意味として‘感覚印象から非直観的な概念表象までをも含む観念一般’という意味がある(この意味についてはカント《純粋理性批判》第2版を参照).
しかし一般には,表象は‘直観的な性格をもつ対象意識’を指し,知覚表象,記憶表象,想像表象,残像,さらには夢や幻覚,妄想までも含む心像一般を意味する.
もともとラテン語の repraesentatio はギリシア語の phantasia の訳語であり,対象を〈再 re 現前 praesens 化〉するという意味である.それゆえに知覚とは区別して‘再生心像による対象意識’,つまり記憶心像や想像心像だけを表象と呼ぶのが普通である.この場合の表象はイメージ(心像)と同義である.心理学ではこの意味の表象として,視覚表象だけではなく,聴覚表象,嗅覚表象,運動表象,混合表象をも認めている.

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Vorstellung(前に vor- 立たせる stellen )と representation(再び re- 現前する present),これらがひとしく「表象」という語として用いられていることから考えをひろげてみよう.表象にはおおむね3つの意味がある.(1)感覚印象や知覚像から抽象概念にいたるまでの観念 idea 一般.(2)対象についての直観的な(目でみるようにダイレクトに把握される)意識.(3)再生されたイメージ,記憶や想像によるイメージ.representation すなわち「再現前」はとくに(3)の意味につながる単語といえるだろう.一方,Vorstellung は idea の訳語として用いられはじめた単語であり,もともと観念一般という意味をもつ言葉であった.

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「再現前 representation」と「観念 idea」.これらの語を関連づける手がかりとしてソマミチが連想するのはプラトンの「想起説」である.
プラトンの哲学はいわゆるソクラテス対話篇による初期,イデア論を展開する中期,ヌース(知性)原因説にいたる後期に区分される.プラトンの中期の哲学は,「人は自分の知らないものをどうして探求できるのか(知らないとすれば,何を目指して探究するというのか / 何かを探りあてたとして,どうしてそれが探究の目標そのものであるとわかるのか)」という「探究のパラドクス」を,「学習は想起である」との「想起説」によって斥けることから始まる(哲学 原典資料集,pp.21-25).

プラトンの著作のなかで想起説がはじめて提示されたのは『メノン』においてである.その要旨は以下のものである:「人間の魂は不死であり、われわれは人間としてこの世に生まれてくる前に、すでにあらゆるものを学んで知ってしまっている。だから、われわれは自分が全然知らないことを学ぶわけではなく、じつは、「学ぶ」とか「探求する」とか呼ばれているのは、すでに獲得しながら忘れていた知識を想い起すこと(アナムネーシス)にほかならないのである」.さらに『パイドン』において想起説はイデア論のきっかけとしてとりあげられ,『パイドロス』においては魂の不死・イデア論と一体として用いられる:「「恋」(エロース)とはこの世の美しい人を見て,美のイデアを想起することとして説明され,一般に人間の認識活動(「知る」こと)は,魂がかつて神々とともに天上において観たそれぞれのイデアを想起することにほかならない,とされる」(『メノン (岩波文庫)』,藤沢令夫の解説より).

想起とは「自分で自分の中に知識をふたたび把握し直す」(『メノン』85D, p.66)ことである.そして想起すなわち再び把握されるものは,かつて「見た」もの,すなわち「イデア」である.かつて‘見た’イデアを再び把握することがすなわち認識することである.ここからさらに‘イデア idea (その過去の記憶)は想起されることで現在 present における認識の対象として再び re 目の前に現れる(現前する present)’――と考えを展開することで,representation と idea(ひいては Vorstellung)とを一続きの言葉として把握できるようにおもう【あるいは,「表象」が representation と Vorstellung = idea という意味の拡がりをもっているということは,そうした言葉による物事の把握の根底に‘認識についての想起説’があることを示している――と考えることができるだろう】.

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「表象 Vorstellung」について考える,そのそもそものきっかけは「表象の進行 Vorstellungsabläufe」という語である.これは「表象の流出」と訳すこともできる(参照:id:somamiti:20050928).表象 Vorstellung を「イデア」の訳語としてとるならば,Vorstellungsabläufe を「イデアの流出」と変換することもできるだろう.「イデアの流出」という語から連想されるのはプロティノスの「流出説」である.

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ヘレニズム化によるポリスの崩壊を背景として,哲学は寄る辺なき世界のなかでの個人の安心を得る方法を説くものとなった.ストア派エピクロス派,懐疑派――これらはそれぞれの流儀で「こころ」を小さく護ろうとする哲学であり,いわば人生観や世界観の哲学であった.「そして古代哲学が懐疑論の絶望的な闇に消えようとしたとき,その反作用のごとく一転して,こころの内で直接真理に飛翔しようとしたのが,古代最後の光,プロティノスであった」.
プロティノスは「帰郷」をキーワードに,プラトンアリストテレスの哲学をレトリックを駆使して体系的に総合統一する.プロティノスは万物の根源を「一者」(あるいは「善」「神」)とし,「一者」からの万物の発生を太陽の光の「流出」の比喩で説いた.そして「質料の闇にいたるまでの存在の下行傾斜を逆行する上方超越の果てに,己の身体をも放下した脱我(エクスターシス)のうちに「一」と神秘的に合一すること」を哲学の目標とした.しかし――
「まばゆいばかりの光の哲学であるが,「一」はわれわれの根拠でありながら,自己はそこでは吸収され解消されてしまうのである.それは裏返しの絶望である.人間の言葉と身体への絶望のはるかな反映であった」
哲学 原典資料集,pp.54-55)

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表象 Vorstellung すなわち「前に置くこと」と流出 ablaufen とのつながりは,この「流出説」を手がかりとして考えられるように思います.しかし本日は長くなりましたので,この話題はまたの機会に.