流出

本日のフロイトの講読会では Verstellung(表象)という単語が話題になりました.以下,それにかんするメモ.
ある文章のなかで「表象 die Vorstellung」と「思考 das Denken」を並べたような表現があり,そこから「表象」と「思考」とはどうちがうのか.そもそも「表象」というのは何を指した言葉なのか,といった方向へ話が展開した――というのが問題の背景.
【ちなみに読んでいるのは「精神分析概説」です.関連:id:somamiti:20050512】

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『自我の哲学史』には以下のようにある(pp.23-24):
「観念」を意味するラテン語の「イデア」(idea)は18世紀にヴォルフによって「フォアシュテルンク」Vorstellungというドイツ語に訳された.この語は文字どおり,意識の「前に」(vor-)+「置かれたもの」(Gestelles)を意味する.日本語訳では「フォアシュテルンク」はふつう「表象」と翻訳される.ヴォルフに続き,カントは「純粋理性批判」のなかで「フォアシュテルンク」の語を頻繁にもちいた.カントなどでは「表象」と「観念」はほぼ同じ意味である.近世では「イデア」も人間の意識が自らの前に置いてこれを思惟する対象,すなわち「観念」とよばれるものとなった.「フォアシュテルンク」はそれを直截にあらわした言葉である.現代のドイツ語でも「フォアシュテルンク」は思惟されている内容や考え方といった意味で広く用いられる.
デカルトからライプニッツを経てカントにいたるまでの17,8世紀では「観念」「表象」「概念」は相互に置換されて用いられてきた.「概念」が事物についての普遍的な(個別具体的ではない)概念として,「観念」から区別されるようになるのはカントとヘーゲル以後のことである.

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ここでは「現代のドイツ語でも「フォアシュテルンク」は思惟されている内容や考え方といった意味で広く用いられる」とありますが,しかしドイツに留学された経験のある先生がおっしゃるには‘すくなくとも日常では Vorstellung などという言葉は使いませんね’ということで,用いられているとはいっても多分に哲学などの領域にかぎった話なのかもしれません.ちなみに英語の idea にあたる語として辞書にのっている Idee については,‘Das ist gute Idee(そいつはいいアイデアだ).’といった感じで普通に用いられているそうです.

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以下,問題となった箇所を引用【予想以上に長くなりました】:

(意識化のプロセスは外界の知覚と関係する.ゆえに,それは自我の周縁部ないし皮層【外胚葉由来の組織としての神経系 = 皮膚 = 感覚器官?】で生じる現象だと考えることができる.動物の場合,自我の周縁部に意識的なプロセスがあり,自我の内部においてその他もろもろの無意識的なプロセスがあるとシンプルに仮定することができる.しかし……)

……, beim Menschen kommt eine Komplikation hinzu, durch welche auch innere Vorgänge im Ich die Qualität des Bewusstseins erwerben können (しかし人間の場合はそこに複雑化がくわわる.それによって自我の内的プロセスもまた意識という性質を獲得する).
Dies ist das Werk der Sprachfunction, die Inhalte des Ichs mit Erinnerungsresten der visuellen, besonders aber akustischen Wahrnehmungen in feste Verbindung bringt(この複雑化は言語機能の働きであり,それは自我の内容物を,視覚的な,あるいはとりわけ聴覚的な知覚の記憶痕跡と固く結びつける).
Von da ab kann die wahrnehmende Peripherie der Rindenschiche in weit grösserem Umfang auch von innen her erregt werden(そののち,皮層の知覚性の周縁部はとても広い範囲において内部からも刺激を受けうるようになり), innere Vorgäng wie Vorstellungsabläufe und Denkvorgänge könenen bewusst werden(内的プロセスすなわち表象の進行や思考プロセスのようなものが意識化されうるようになる),
und es bedarf einer besonderen Vorrichtung, die zwischen beiden Möglichkeitn unterscheidet, der sogenannten Realitätsprüfung(そしてある特別な矯正装置が必要となる.それはこの2つの可能性【知覚をもたらす皮層への刺激が外界からのものか,自我の内部からのものか】を識別するためのものであり,現実検討と呼ばれている).
Die Gleichstellung Wahrnehmung-Realität(Aussenwelt) ist hinfällig geworden(知覚 = 現実(外界)という等式は無効となったのである).
(知覚 = 現実(外界)という等式にもとづく認識は,たとえば夢や幻覚において見うけられる).

Freud,S.1940 "Abriss der Psychoanalyse" G.W.XVII.p,84)


ここであらためて気になるのは,「表象の進行 Vorstellungsabläufe」というかたちで,表象が (der) Ablauf ないし ablaufen という語と結びつけられて用いられていることである.ablaufen は「走り出る(去る),(液体や砂が)流出する,流れ落ちる,(巻いたものが)最後までほどける,(イベントが)進行する,(期限や期間が)満了する,満期となる」という意味の動詞であり,Ablauf にもまた「流出,排出」や「経過」という意味がある.【ちなみにフロイト著作集に収録された翻訳では「表象作用」と訳されている】.